2025.05.31
枚方市議会議員の奥野みかさんの X をよく見にいきます。
毎月、枚方文化芸術センター2Fで
もっとよい枚方をつくるための意見交換の場~みか’s café~』を開催されています。今回の「~みか’s café~」で話し合われた内容の報告と、次回の日にちが決まりましたらその日にちと次の会の主題が X に上がっています。
奥野さんは「~みか’s café~」の対話をまとめきれず、報告をできずにいることも多くてすみませんと書いておられます。しかしまとめなくてもいいのではないでしょうか。参加者はフリーで考えを言って、聞いている者はああなるほどと思ったり、ああこれは時代が違うと思ったり、元公務員と商売人ではそれは考え方が違うわなと思ったり、会社員と百姓とでは違うと思ったり、またそれは違っていいんですよねと思ったりですね。そうしてこの社会にみんな生きているわけですから。ですからたまに「~みか’s café~」の会へ行って聞いてたらいいです。世間が広くなりますし。勉強になりますし。無料ですし。


2025.05.30
今午前11時、このパソコンから目を上げた窓の景色です。先ほどガラス戸を開け網戸にしました。風が南天の葉を抜けブラインドを通り入ってきます。晴れていますが風は何となく雨のにおいがします。

昨日の つづきのようなことです。よく内田樹さんの X を見にいきます。Who to follow に清水潔さんの X が上がっていて、そこに「知ろうとしないことは罪」の言葉があります。きつい言葉です。しかしそう言われても。物事には知りたいことも、あまり知りたくないこともありますし。またそこにこんな言葉もありました。

『 【取説】このTwitter(X)は何やら怒りに任せて毒を吐く事が多いようです。あなたの健康のために読み過ぎに注意しましょう。 』 

 

そうしますと私のただボーっと見ている、ただ読んでいるという態度も可ではないかと。


2025.05.29
昨日4時から山田池公園へバスで行ってきました。写真は中の菖蒲園の一角です。まだ2割ほどしか咲いていません。立っている表示に名前が書いてあり、これは「峰紫」です。
昨日のつづきのようなことですが、車イスの人も大型モニターの右でなく左を大きく回ってラポールの方へ向かったら比較的傾斜が緩いです。しかし一番の問題は、信号の変わるのを歩道で待っている人が(私も含めて)、車イスで難儀している人に押しましょうかと声をかけたらよかったんです。
しかし立っている人は信号が変わったら早く枚方市駅の方へ横断歩道を渡りたいと思っていたでしょうし、私は散歩の途中で、車イスで難儀している様子を最初立ち止まってボーっと見ていました。この私のボーっとというところがいけないんです。


2025.05.28
数日前に撮りました天野川河口の河床部に生えている木です。黄色い花が咲いて垂れ下がっています。
昨日のつづきのようなことです。車イスはわずかな坂も登れないです。雨の日は一層不便です。車イスでなく普段は杖をついて歩いている老人でも、雨の日は杖がつけないから外出しませんと言われます。それだけ雨の日は移動するのに負荷が大きいです。
身体が不自由な人に対して、行政や市会議員や福祉民生委員はどう取り組むのが良いか、同じ枚方市民であり納税者であり有権者であり且つ健康な者は本当はどう望んでいるのかを考えます。この場合に、例えばラポールの歩道のわずかな坂を改修工事することは正しいことだろうかとかです。
ここは旧国1と歩道との切りがあります。また水はけのことも考えんなりません。だからここにわずかな勾配は付けんなりません。しかしそれでは雨の日に車イスで進むのが難しい。だから何とかしたれやとします。しかしそのためにはタイル剥がしてユンボ入れて地ならしして水平とって、そして土木工事はけっこう金がかかります。そうしますとそれは正しいことでしょうか、と。景色を文章にしようとしますと、ぼーっとこんなことを考えます。
そして私はこの場合に車イスの人には不便でも堪忍してもらって、他に非正規労働者、健康で真面目に働いているのに給料が安くて生活がしんどい人、そうした人を助ける方策に行政や市会議員はその資源を使い、その財源が費やされるのが正解だと思うのです。


2025.05.27
この大型モニターの左を行くと関西医大病院、右へ行くと枚方文化芸術センター、そのもっと右がラポールの方です。そのラポールへ行く歩道のところがわずかに坂になっています。(そこの写真がないので2025.05.16 と同じ写真を使いました。)
以前このページに車イスの人が雨の日にラポールの前のわずかな登り坂の部分で苦労していて私が押しましょうかと声をかけたら、「なんやねんー!」と激しく怒られたことを書きました。そしてそれは車イスである自身の不幸に腹が立っているのでしょうと勝手に解釈して載せました。しかしこの解釈は正しくないです。その記事を書き直さないといけないのですが何日だったのか出てきません。気になっていますので正しいと思う方を今日付けで書きます。
あの時は市駅の方へ横断歩道を渡るのに信号待ちの人がここに15人ほど立っていました。内5人ほどが傘をさしている状態でした。車イスの人は前に横断歩道を渡ってきてラポールの方へ行くのにわずかの勾配を登りますが路面が濡れているので難儀していました。しかし立っている人はだれも手をかしません。私も手に傘を持って立ってその様子を見ていました。車イスというものは不便なもんやなぁーと、思っていました。
それからやっとして、これは手伝わないかんと思って、押しましょうかと言ったんです。しかし車イスはもう上がりきっていました。ラポールの前は真っ平らなんです。ですから車イスの人にしたら、今さらないやねんー!です。登りで難儀しているときに声をかけんかい!です。きっとこれが正解でしょう。散歩によくラポールの前を通りますので改めて見ますと、入口のところはもう広く平らです。


2025.05.26
5月24日(土曜)午後6から岡集会所2Fで岡東自治町内会の通常総会がありました。
受付で名前を記帳し出席しました。総会は議案書にもとづき、開会挨拶、議長の選出、定員数の確認、議事録署名人の選出、そして予め配布されている総会資料を見て説明され議事が進み全て承認され決まりました。最後に閉会宣言がありました。後に軽い食事が出て近くの人に二言三言口をきいて帰りました。


2025.05.25
今日はお休みです。


2025.05.24
枚方市岡東町は今朝はゆるい雨が降っています。玄関前の南天の鉢は一部が軒下から外れていますので雨に打たれています。
南天は「難を転じる」と言われるので、ここで商売をした当初から、南天の鉢を玄関前に置いています。それと南北にも配しています。赤い実になる房が今は白い穂ですが、よく見ますと少し赤?紅?朱?が白いふくらみに出ています。


2025.05.23
つづきです。

山田池公園にある橋の上から撮った景色です。川にアオコですか、水面がみどり色になっています。
このページを毎日ほど更新していますが、それでこれが何になるかと言いますと、特に言えるほどのものにはなりません。しいて言いましたら自分の頭の体操になるということは言えます。そのていどで、まぁ趣味や道楽でやっているようなものです。
しかしその趣味道楽もことによって社会にプラスの側面はあると思います。昔に商売をしていた人が店を辞めて、よく趣味道楽に何かをすることがあります。ゴルフ、ギター、謡い、朗読、釣り、囲碁、将棋などなど。私は新聞が好きですから新聞を3紙とっています。そういう意味で新聞道楽ですが、道楽と言ってもそれほど金は掛かりません。これが例えば車道楽の人がいますが、車はベンツや BM の外車が高いだけでなく維持費がいります。その点、私はあまり金の掛からない道楽をしていますが、これで新聞を読んで、そこから学んで何か一言ここに書ければ十分に元が取れるんです。
よく内田樹さんの X を見にいきます。今日は「旦那芸」のことが書いてありました。旦那芸は積極的に社会にプラスになるわけです。無断でコピーしてきました。

『 僕自身は半ちくな武道家であり、「旦那芸」として能楽を稽古していますが、こういう「玄人と素人の間を架橋する人たち」が伝統文化の継承のためには絶対に必要だと思います。「旦那」たちの分厚い層があって初めて「ほんものの玄人」の活動の足場ができるからです。 

 

                  


2025.05.22
昨日午後3時過ぎから店を閉めて山田池公園へ行ってきました。
写真の時間は5時過ぎです。緑の中に対岸の大きな木は白い綿がついてるように見えます。大きな木があり風が吹き緑みどりの中を歩いてきました。この後に少し雨が降ってきて、公園を出てバス停で待って帰ってきました。


2025.05.21
当店の角の花壇に蝶々がきています。
今はつわぶきの葉っぱの水を飲んでいるようです。先ほどまでビオラの花の中に降りて花の蜜を吸っていました。
花壇に蝶々が飛んでいてもなかなかデジカメで撮るのは難しいのです。この蝶々はめずらしく撮るあいだ止まっていてくれました。

角の花壇の南天に白い実がなっています。これが先で赤い、あの南天の玉玉の房になるんです。


2025.05.20-2
つづきの続きのつもりです。

同じ新聞1面の右の記事は「脱売春へ そっと後押し」、歓楽街の路面塗装「客待ち」しにくくの見出しでした。今朝新聞1面をデジカメで撮ってトリミングし左の「ガザ1日で死者150人超」にしましたが、右の記事も気になるので載せてみます。
親鸞の話の中にこんなのがありました。あるところで遊女が親鸞に、こんな私でも浄土へ行けるでしょうかと聞きます。そうしたら親鸞が、辞められるなら辞めた方がいい。しかしそうしなければ生きていけないのなら仕方がない。そんなあなたでも南無阿弥陀仏を唱えたら浄土へ行けますよと答えるんですね。ガザを攻撃するイスラエルはユダヤ教で、ガザのハマスはイスラム組織です。もしも両方が仏教ならこうならないやろうとおもいます。
内田樹さんの X をよく見にいきます。ときどき合気道の極意のようなことが書いてあって、私に武道に心得がないから、なにか煙にまかれているような気がします。私が論に行き詰まるとこんな方法もありでしょうか。


朝稽古だん。今日は「相手に技をかけないこと」を中心にお稽古をしました。脳はどうしても対立的にものごとをとらえるので、脳を混乱させるために「同時にできないはずの運動」を指示します。「相手に技をかけない」と「相手に技をかける」を同時に指示する。
対立的な動きはそれ自体が「不自然かつ不自由な動き」ですから、触れる前にすでに同期被誘発者のポジションにいます。「対立的身体」は、気分よくのびのびと自在に動いている「同化的身体」の同期誘発力に抵抗できません。この時に「敵我を見ず 我敵を見ず」という境位に立つことができる

・・無断でXから引っぱってきました。


2025.05.20
つづきのつもりです。

写真は昨日19日の毎日新聞夕刊1面です。イスラエル軍がガザに侵攻し150人以上が死亡したと報じています。
ひどいことです。滅茶苦茶な話です。イスラエルはまだやっているんです。こんな現地の映像を「サブチャンネル ひらかた」 枚方地域情報TVで映したらどうでしょう。ここの横断歩道を通る人に世界にはこんな国がある、こんな地域もあると分かります。吉本興業のお笑い芸人を出しているより良いと思うのですが。
いやしかし、この横断歩道を通る人は幸せな人ばかりではない。病気で関西医大病院に通う人もいるのだし、あまりに酷い戦争の実態を映さない方がいい。それよりもお笑い芸人が映っている方が心身に良いという考えはあるかもしれません。どうでしょう。


2025.05.19
つづきです。
今の画面は枚方市役所からのお知らせです。こうした役所の堅いばっかしのお知らせ画面では人気がないと考えて吉本興業のお笑いコンビを使うのでしょうが、普通のニュースを流しておいてはいけないんですか。
NHKテレビでもよくそう思うことがあります。なんで吉本系の芸人を引っぱってくるのかと。それが視聴者に対するサービスの考えなのか知らんけど、なにか政府による愚民政策のような気がしてくることがあります。国民はアホほど都合がいいと考えて。
先日、池上彰さんの本を読んでいたら、アメリカではCNNとかFOXとかニュース専門放送局のテレビを見る人が多いと書いてありました。日本でもそうした要求はあると思います。普通のテレビで落語とか講談とか浪曲とか漫才とか歌謡曲とか、そうした芸能番組は見たいと思います。しかし現実にやってるのはお笑い芸人の悪ふざけのような番組が多いです。あれは芸能でもなんでもないです。この枚方地域情報TVはそんなまねはせんでもええと思う。


2025.05.18
2025.05.16 のつづきです。
モニターの左下のシールに、「サブチャンネル ひらかた 」枚方地域情報TV。費用は全て番組スポンサーの広告費で運営されていますと書いてあります。
ここで横断歩道の信号が変わるのを待っていますと、後ろから大声で「枚方家族、全国どこにいても枚方家族、めしうますぎ、枚方家族」・・こんな声が聞こえます。お笑い系といいますか、吉本的といいますか、そんな気がします。しかし枚方ってそんな町ではありません。もっと真面目な人が住んでいる町だと言いたくなります。私も枚方市民ですが、枚方市民は真面目に働き、よく勉強する賢い人たちです。そんな人が多く住んでいます。枚方地域情報TVとして、枚方をそのように表現して欲しいと思います。


2025.05.17
今日昼1時より岡東町老人会の定例会が岡集会所でありました。
その後につづけて「山吹流・銭太鼓による演奏」がありました。やすけい会から13人来られて銭太鼓を振り演奏されました。銭太鼓は30cmほどの筒状の中に5円玉が入っていて、それを左右の手に持った振って演舞していくものです。
曲はドンドンパンパンとか、枚方音頭とか、この町が好きとか、銭形平次とか、何曲も演舞されたです。私は始めてみました。1時間ほどで終わりました。楽しかったです。


2025.05.16
ラポールの前の歩道に枚方市のことを紹介する大きなテレビモニターがあります。
ちょうど旧国道1を市駅の方へ渡る横断歩道のところで信号が変わるのをここで待っている人が多いです。私も散歩してよくここで止まります。そうしたら急に後ろから大きな声で「飯うま過ぎ!枚方家族!」が聞こえてビックリすることがあります。
「めっちゃうま過ぎ!枚方家族!」「全国どこにいても枚方家族!」。こんな大声がして文言が画面に出ます。このお笑いコンビは枚方市出身のようです。
毎日ほど「この町の風景」を更新しています。インターネットは全国どこからでも見ることができ、自分はこの町をどのような町だと世間に発信したいのか考えることがあります。その私の考えと、この大型モニターの文言はちょっと違います。


2025.05.15-2
ガレージの花水木の下に、先日まで白い花が満開でした。何という花か知りませんが、最初はもらった株をここへ下して根つきました。毎年咲きます。
それでNHKのことですが、さっきふと気がついたのですが、例えば今日ですと、今日は朝からここに書くネタがありません。しかし今日はネタがありませんと書くわけにはいけませんし、NHKでも引っぱってきて文句を並べようとなりました。別にNHKでなくてもいいのですが他にないから、NHKなら何を書いても問題にならないだろうし、特にだれかを傷つけることもないだろうから、それでNHKです。
しかし考えてみますと選挙で問題のあった立花なんとかの党が「NHKをぶっ壊す!」ですから、同じような理由かもしれない。立花なんとかもネタにつまったのかも。


2025.05.15
ガレージの花水木の下の枝です。花が散った後に額が残っているところがあります。
それでNHKのテレビ番組ですが、年々ひどくなるように思います。それはお笑い番組風になると言うか、吉本興業的になると言うか、そんなに視聴者に気を使わなくても、もっと事実を淡々と報じていたら、番組はそれでいいと思うんです。
番組を作るのに吉本の芸人を引っぱってくるから、それにつられて局のアナウンサーも芸をするようになるんです。そんなことを国民は求めていないです。


2025.05.14
ガレージの山茱萸(サンシュユ)の上部です。木がほごってガレージから撮りますと下部の幹の部分しか撮れませんので2Fの窓から見下ろす形で撮りました。この木はいま勢いがあります。
それでNHKのテレビを見ていて思うことですが、地方の紹介でも町の紹介でも、もっと淡々と報じたらどうなんでしょう。例えば局のアナウンサーが食べ歩きみたいなことをして、一口食べて直ぐに「ああ美味い!」とか叫んで、そんなに早く美味しさがわかるわけではないです。まるで美味しさのあまり感動に打ち震えるような身振りをして、それはやり過ぎだとおもうのです。そんなことを国民はNHKに求めていないです。


2025.05.13
当店のガレージの椿の葉に午前10時の陽が当たっています。先ほど事務室の窓から撮りました。
それで長く生きてきて思うことは、結局はこの世は何でもありなんです。もちろん今の日本はウクライナやガザのようにミサイルが飛んで来ることはありませんし、また主食のコメが値上がりしたからと言って手に入らないこともありません。しかし昔に思ってました、時代が進むと世の中は正しい方へと修正されて行くもの、でもないんです。そんな単純なものでなく、未来は昔の賢人でも予想できないもので、どう動くは分からないんです。ところが今に立ち止まって考えてつい錯覚するんですね。それでこの方向だろうと。それで間違うんです。


2025.05.12
昨日午後から天気が良く山田池公園へバスで行ってきました。
いつもは池の縁を周りますが、右に行く比較的新しい道がありますので一度行ってみました。行きますと駐車場があり大きな広場になっていました。グランド一面にこれはシロツメグサですね。クローバーとも言うのですか、緑みどりの中に白い花が咲いていました。記念に一枚です。
それでこの頃、テレビ番組が低俗化して何とかならないかと思うことがあります。昔から新聞や放送などジャーナリズムに携わっている人たちは比較的文化レベルの高い人たちで、だからそんなアホな番組は作らないだろうと言う暗黙の了解がありました。じじつ製作者には製作者のプライドがあり、そうひどい番組は出てきませんでした。ところがこの頃はそのプライドがなくなってきたんでしようか。


2025.05.11
同じに撮りました河川敷の草むらです。天野川の河口部です。
テレビを見ていますとよく吉本興業の芸人が出てきます。しかしそんなに人気があんのんかと思います。ですから本当は別に、視聴者に対する愚民政策の一環ではないかと思うことがあります。
それは食べ歩きのリポーターであったり回答者であったり、別に吉本から呼ばなくても番組は作れると思います。私はいやですからチャンネルを変えるのですが、そしたらまた出ているんです。それは番組の制作が簡単で、ある程度の視聴率が取れるから使うのでしょう。そうして番組を作って放送して結局は、若い人はテレビから離れていき、大人は諦め、そしてアメリカのように深刻な分断が社会に生じるのではないですか。
昔に横山ノックが警察問題を起こして大阪府知事を辞任した時に、それを報じる夜のニュース番組で筑紫哲也が「選挙で選んだあなた方が悪い」というのが正解だけど、ジャーナリズムはそれは言わないことになっていますと言っていました。それはそうです。その本当の原因を言い出したら、選挙も民主主義も成り立たないですから。そして結局この問題はいくら考えても、それは放送人のプライドといったものに期待しないといけないことになるのでしょうか。


2025.05.10
昨日と同じに撮りました淀川堤防の斜面の草です。柔らかくて新鮮でヤギを放したら喜びそうです。
昨日の西田議員の「ひめゆりの塔」のことですが、本人が発言を取り下げて謝罪しているテレビニュースがありました。
もともと政治家としての作戦だったかも知れません。ネットで騒がれ、テレビにも顔が出て、上手くいった、成功したと思っているかも。政治家としてカメラを向けられるのも実力の内だと。
もう何日も書こうと思ってますことは、「報道の力」というものを社会のどこに置いておくのが正解かです。例えば映画では民族の運命が決するときに、長老というのが出てきますし語り部も出てきます。あの預言者のような人達は平時には社会のどの位置にいたらいいでしょう。そんなことを考えると一日の事件の内の何を取り上げ、何は取り上げないか。報じられなかったら人は知らんのです。ではその報じる基準は何です。そんなことを考えます。


2025.05.09
昨夕5時の淀川河川敷の草むらです。天野川の河口近くです。
緑がものすごくきれいです。菜の花の黄色に、つゆ草の蔓がからんで紫の花が咲いています。
昨日のつづきのようなことですが内田樹さんの X を見にいきますと、自民党の西田議員が「ひめゆりの塔」のことについて、それは歴史の書き換えだと言ったとか。
リツイートに対してまたリツイートが上がっていて、その歴史認識の誤りを報道は正さなくてはいけないのに、テレビのニュースはどこの局は報じたがどこの局は取り上げなかった。カトリックのコンクラーベは報じても沖縄の大事な歴史を国会議員が誤って発言していることには何もふれなかった。それは公の報道機関として間違っていると、そうしたリツイートして上がってました。
リツイートした人は正しいと思いますし、またそれをリツイートした人も正しいと思います。ですが放送局が一日の事件の内の何を取り上げ何は取り上げないかは、編集者やデレクターや(知りませんけど)の裁量の問題ではないですか。放送会社の上がですね、上役が現場の声を無視して強いたのなら、それはいけませんけど。
随分昔に朝日新聞の論説室のことを聞いたことがあります。論説室は主幹1人と副主幹4人。それで論説室で議論して社説などを書いていると。テレビ局の場合は何より視聴率を重要視するんでしょうか。それはニュース番組でさえそう思うことがあります。ではどうするのがいいか、私には書けませんが。


2025.05.08
昨日は昼から天気がよく、店にいてはもったいない気がしてきて、桃山の御陵さんへ行ってきました。
特急で丹波橋で降り真っ直ぐ東へ登って、杜はすごい新緑でした。長い参道に人は少なく、外国の人は見ませんでした。
テレビのニュースでトランプを見るとうんざりします。どうしてアメリカの人はあのトランプに投票したんでしょう。やはり分からないです。考えられる理由は今まで自分が思っていたアメリカと実際のアメリカは随分違っていたということです。
ロシアのプーチンも嫌なやつです。国内で厭戦気分が広がり、反戦運動が起こり失脚しないものかとよく思います。しかしそうならないです。
それで立法・行政・司法の三権分立を言いますが、「報道」を入れて四権分立にして国家を作ったらどうかと思うことがあります。何事も知らされなかったら国民は分かりませんし不幸です。「報道」はいつの時代もどんな社会でも大事です。その大事なものは何でもありのSNSでは無理で、どのメディアが適しているかを考えますと、私は紙の新聞だと思います。ですからその四権目を作るのに、新聞社の論説者に「公」を担ってもらったらどうでしょう。四権分立国家の四権目がジャーナリズムは?


2025.05.07
今朝軒先に花水木の花が雨に打たれて散っていました。掃いて集めたところを一枚撮りました。
2025.05.02 のつづきのようなつもりです。昔に「ぶ厚い中間層」を言いました。しかしどうしてそちらへ行かなかったんでしょうか。会社員は給料が増えなかったら消費ができないです。そうしたら物が売れなくなって不景気になります。それは当然の理屈です。
普通は経営者側は給料は経費ですから減らそうとするでしょう。しかしそれでは会社員の生活が苦しく物が売れず不景気になります。それで健全な社会が成り立たせるためにも給料は戦って勝ち取っていくものでした。ですからその争いは社会に必要なもので是でした。ところがそれが市場経済の波におされてなくなって、結局は失われた30年です。ですから経営者側も労働者側もどっちもよくなかったと思う。


2025.05.06
当店のガレージの花水木です。今朝11に撮りました。昨夜からの雨に打たれて枝先の花はほとんど落ちましたが、この幹に近いところの花は元もと咲きだしたのが遅かったのかまだ数輪咲いています。
2025.05.04-2 のつづきのようなことです。歴史は「今・ここ・私」に一直線に来たわけではないんですね。ただこれから先を考えるときに、つい人は今まで多くあった可能性のことを考えずに、真っ直ぐここに来たように思ってしまう傾向があるんです。ですから言ってみましたら、逆にこれから先も基本的には何でもありなんで、今を生きるスタンスとしては、今はこういう時代やと思うのも方法なんでしよう。
毎日ほど新聞を読みます、テレビでニュースを見ます。それは今はこういう時代だと毎日学習しているようなものです。新聞で論説者が批評します。テレビで解説者が論評します。内田樹さんの X を毎日ほど見に行きます。本も読みます。そして結局は同じ方向の記事、テレビ、X を見て、本を読んでいます。それは正しいから、間違っているからより、心地よいからですね。嫌なものは見ない、読まない、手に取らないです。トランプはアホです。プーチンもアホです。そう思っています。


2025.05.05
岡東公園の入口のところです。通路の左の先にもうアジサイの白い花が咲いています。
昨日は岡東公園の掃除のあと、岡集会所で老人会の役員会がありました。長テーブルをロの字にして40分ほど今後の行事の打ち合わせをしました。
私は世の中の変化のスピードについていけない感がずーっとありますが、きっとそんなんでいいんでしょう。日本は65才以上が人口に占める割合が確か25%で、75才異常が17%と新聞記事にあったと思います。高齢社会になったと言っても65才以上で人口の1/4、75歳以上は2割にもならないんです。
それで例えばです、枚方市駅前再開発に関係して市役所の新しい庁舎の位置をどこにするかを議論する時に、後期高齢者が意見を述べることが正しいかと思うことがあります。未来を設計するのに2割にも満たない者が、その未来にはおそらくもういない者が意見を言うことは、それは単に自分のロマンではないかと。こんなことをボーっと考えてます。


2025.05.04-2
岡東公園の階段を上がったところの花壇です。いまは木の葉の緑、花の葉の緑、その中に黄やオレンジの花が咲いています。しかし主役はやはり樹木の新緑です。
2025.05.03 のつづきのようなことです。このごろ世の中の変化のスピードが早くつい危機感がおこります。
どうしてトランプが大統領になったんでしょう。アメリカは元もとそんな国だったんですか。ホワイトハウスのトランプの取り巻きをテレビニュースで見ていたら、ハリウッド映画の一場面にしたら完全に悪役の一団の顔をしています。どうなったるんです。
前に内田樹さんの「寝ながら学べる構造主義」の本を、寝ないで椅子に座って机の上に開いて真面目に読みました。その本に次のようなことが書いてありました。
・・私たちは、歴史の流れを「今・ここ・私」に向けて一直線に「進化」してきた過程としてとらえたがる傾向がある・・
そうなんです。ですから世界は一直線に進んでいないんです。ですから言ってみたら何でもありです。今はアメリカは横へズレているんです。今のアメリカはアホです。ロシアもアホです。どちらも国を衰えさせ国力を減じる方向へ行っています。ですからそれと同じで、今のこの日本社会の変化のスピードもありで、それに迷わされて、なにも危機感を抱くことはないんです。自分のペースでいいんです。


2025.05.04
今朝は第一日曜ですので、例月のように朝7時半から岡東公園の掃除をしました。参加者は10人でいつもより少なかったです。
各々に塵取りと箒を持って写真の階段を掃き、下の溝の土をすくい、上のグランドはゴミを拾い落ち葉を集めました。
全部終わって集合して飲み物をもらい、老人会長の清水さんの今後の予定を聞いて散会しました。


2025.05.03
山田池公園の菖蒲園です。5月の何?日からの開園で、今は入れないように閉じてありました。
前のつづきのようなことですが、この頃ものすごいスピードで世の中が変わって行ってると思います。昔と違うなぁーと、よく思います。いつの時代の後期高齢者も、自分のスピードが衰えて止まりかけてくるとこんな実感を持ってたのでしょうか。そんな自分が思うのは、今社会にとって一番の良薬は変革のスピードを落とす社会政策の処方ではないかと。写真の菖蒲園も花の時期が来るまで閉じてあります。


2025.05.02-2
山田池公園の浮見堂です。2025.05.01 の元画像を拡大しました。前のつづきのつもりです。
働いている人(正規も非正規も会わせて)は使用者より人数が多いです。選挙は一人1票ですから、働いている人を代表する政治家は当然に当選するわけです。しかし現状はそうなっていません。どうしてでしょう。
それは一つは当の政治家がよそ見をしているからではないかと思うことがあります。よく、一人も取り残さない、一人も取りこぼさない政策!というスローガンがありますが、大きい塊を取りこぼしてたら政治家は強くなれません。それはしいては働く人のためにならないのではないですか。そんなことを思います。しかし本当は政治の世界のことはまったく分からないんですが。


2025.05.02
写真は山田池公園の池のふちです。ツツジが咲き緑がきれいです。

写真とは関係ないことですが昨日は5/1でメーデーの日だったんですね。それで内田樹さんの X(ツイート)を見てますとこんなリツイートが上がっていました。
若手弁護士の会/あすわか、さんのツイートです。
『 団結権があるのに、最近は労働組合に入る人は少ないようです。(巨大労組が切り崩されてきた歴史は、逆に権力や使用者にとって働く人たちの団結がどれだけ脅威か教えてくれます。) 自分一人ではなかなか会社に物申すことはできません。安定した雇用・自分らしい人生を守るために、労組って大事です。 
このツイートを内田樹さんがリツイートしたんです。私もこの考えに賛成です。昔の中学校や高校ではこのように習いました。大人になって政党も政治も労働運動もまったく知りませんが、今でもこの考え方は正しいと思います。そして普段から思ってますことは、こうした労組を充実さす仕事が本来政治家の仕事ではないんですか。


2025.05.01-2
2025.02.22 と 2025.04.14 と同じ写真を使っています。
この写真の右のスクランブルを渡る歩道のところで1月ほど前に面白い光景がありました。頭の上が陸橋のところです。
保育園児が保母さんの右手に1人、左手に1人連れられて5組か6組いました。別に0歳児でしょうか、まだあどけない男児5名か6名が車輪の付いた台車のかごに入れられて保母さん1人がついて押していました。
保母さんに手を繋いでもらっている園児は年小組でも活発に動きますが、このかごの幼児はまだそこまでいかないのか、寝起きなのか全員がボーっとしています。歩道で信号待ちしている主婦が駕篭の幼児に相手をしますが、駕篭の幼児はにこりとも反応しません。そこへ自転車を押した中学生女子が2名来ました。1人が相手すると今度は駕篭の左の幼児1人りがニコッとしました。しかしもう1人右の幼児はまったく無反応です。そうしましたら中学生女子が手を伸ばしてその幼児のほっぺを触りました。そうしたら幼児がニコッとして、保母さんも信号待ちしている主婦も他の大人も大喜びです。やっぱし中学生女子は、あの場面で幼児のほっぺに手を伸ばすんです。風の谷のナウシカかトトロのサツキみたいです。もしも私が手を伸ばしたら引率の保母さんに怒られたでしょう。それどころか警察に通報されたかも知れない。


2025.05.01
昨日天気が良いので昼から山田池公園へ市駅前からバスで行ってきました。
園内は人が少なく新緑が美しかったです。池の向こうに浮見堂があります。前に来てこの浮見堂に渡った時に、お母さんと一緒に来ていた中学生ほどの女の子が、これはトイレと違ったんと言ってるのが聞こえました。私は横を向いてましたが面白いことを言うもんだと思いました。確かに扉がありますしね。さぞやここなら池の真ん中で落ち着いてトイレできるでしょう。本当はこれはポンプ室ですね。池の水位をここで調整しているんでしょう。写真の左の木々の緑が水面に写っているところをトリミングして今月の上の額に使いました。