2019.10.17
10月11日(金)夜7時30分 NHK かんさい熱視線「保育所が詐欺の舞台に」のテレビ画面です。
番組の内容は、国の待機児童対策として企業主導型保育所の設置に補助金が出る制度を悪用した詐欺手口の説明と、それを防ぐ対策として、今後は審査機関による現地調査など審査の厳格化が求められていますとする主旨でした。

夜に何となくテレビを見ていて、知らない世界には想像もつかない悪事をはたらく者がいるものだと思っていて、同時にその何も知らない世界を私は2ヶ月ほど前に少し知ろうとしたのだと気がつきました。
日頃から雑念が多いと言いますか思いますことの一つに、もう15年以上前になりますが、岡東町の私道(地道)の奥に鉄骨3階建てのビルを建てて50人ほどの園児を預かるちびっ子ランドでしたか?保育園を作る計画案が起こりました。私道の奥で道が細く車の出入りが大変ですので近所の住民から猛反対が起こりました。計画があまりにも無謀でした。それで説明会が開かれて結局取りやめになったのですが、その時に市役所の担当課に電話で聞いた話しで、園児7名からは保育所の届けが必要ですが、6名までは届けは要りません。(注* 今は1名から届けが必要です。)園児の内の1名の叔母さんがそこで保育師として勤務する場合はその園児は数字にカウントしません、とのことでした。なるほど、叔母さんが甥や姪を保育するのは普通ですから届けが必要な園児の数に入れない考えは理解できます。
それから1年か2年ほどした新聞の記事に、京都市内の細い路地奥の長屋が地上げに遭い、しかし最後に数軒が残り、そこで開発が止まり、残った住民が住んでいて、年寄りばかりで路地が寂れている。その長屋の地上げされた空き家の1軒をリホームして5~6名の保育園をした。そうすると路地に園児や若いお母さんが出入りして活気が生まれ、今まで路地にも出なかった年寄りが出るようになり路地が明るくなった。このような新聞記事でした。・・新聞の特集記事には切り口がありますが、この記事は町の活性化に面白い試みだと、そういう方向でした。
それでです、先の岡東町の私道の奥で鉄骨3階建てを建てて園児を50人も預かる計画は地元住民から猛反対が出ましたが、そんな大きな保育園でなく空き家に園児5~6人預かって、それをネットワークで組んだらどうなるだろうという考えが、これは単に想像のことですが前からありました。その園ひとつずつが地域を明るくしていきます。WWWは地球をクモの巣で覆うのに対しこの考えは園ひとつずつが地域を明るくしていきます。(注* 今は一名から届出が必要ですから、それはできないことですが。)それでです、この文章の初めに戻って2ヶ月ほど前、現在はこの考えにどんな可能性があるのか保育の世界を少し知ろうとしました。


2019.10.16
 岡東町1番の市道の上にクモが巣を張っています。
右下に写っている高さ3mほどの住宅の木の葉っぱに糸を数本張り、左に写っている電線(10mほどの高さ)のもっと左に高さ6mほどにNTT線が通っています。その線にもう片方の糸を引っかけ、長く引っぱってきて巣を作っています。スケールの大きな巣です。クモの周りに浮かんでいるのは以前にかかった虫の残骸でしょうか。高い秋の空と、まっすぐな電線と、住宅の木の葉と、路上から見上げると一瞬クモがどの高さにいるのか迷います。


2019.10.15
昨日の朝に町内の班長さんが持ってこられました。
秋祭り祝儀「 御 礼 」の貼り紙です。
岡東自治町内会
岡東青年会 からです。
さっそく橋本質店のタイルの外壁に貼りました。


2019.10.14
昨日13日(日)の朝、秋祭り布団太鼓巡行の出陣式です。岡東公園前の一乗寺さんのガレージです。
一段高い台の上に自治会長の橘内さん、老人会長の清水さん、横のイスに腰掛けておられるのは初代の青年会会長である桃川さんです。それぞれ挨拶をされました。
このあと記念に布団太鼓の前に全員が集まり「らがー」さんが脚立の上から撮影しました。秋祭りの写真は駅前の「らがー」さんにたくさんあると思います。

写真は駅前のロータリーを巡行する布団太鼓と子供神輿です。
バスが次々入ってきますのでのお巡りさん数名が出て交通整理をされていました。
私は子供神輿の後ろ、つまり最後尾をついて歩いていました。

午前11時、岡東中央公園に岡東町、岡本町、三矢町、新町の4町の布団太鼓が集合しました。
写真はステージでお礼を述べられる、岡東町青年会会長の井上さんです。
秋祭りは4町の青年会の持ち回りで当番町が決まります。今年は岡東町が当たっていますので井上さんがマイクを持って立たれました。写真を撮るのはタイミングや角度が難しく、この時はなぜか司会役の橘内さんが写っていません。

写真はステージで伏見市長さんがお祝いの挨拶にマイクに向かわれるところです。
市長さんはこの秋祭りのお祝いと同時に、台風19号による被害に遭われた人達のことを安んじられた挨拶をされました。
ステージには伏見市長さんの他に市議会副議長さん、国会議員さん2名、府議会議員さん3名、市議会議員さん1名が上がられて、それぞれに挨拶をされました。また枚方フェスティバルの役職さん、それに4町の自治会長さんと青年会長さんが並びました。

中央公園に4町の布団太鼓と子供神輿をV字型に並べ、その前にはっぴ姿の担ぎ手や町内の子供が座り、来賓の偉い先生もステージを降りてみんなの中に入り全員で記念撮影をしました。
この写真は来年の秋祭りのポスターの大型写真に使われます。写真は駅前の「らがー」さんが脚立に乗って撮っていました。この時とばかりに何人もがステージに上がり撮りました。私もその一人です。

中央公園でのセレモニーのあと枚方市駅の北口のロータリへ巡行し、街道筋のビオルネ横の岡本町公園に布団太鼓と子供神輿を駐めました。そして岡東公園に行き昼食をしました。
昼からは街道筋を枚方公園の鍵屋さんまで巡行しました。毎年そうですが、この秋祭りと五六市の日がかさなり人の多い道を行くことになります。ただ今年は先日の台風のことがあるからか例年より街道筋は人が少なかったように思います。3時すぎに巡行を終え帰ってきました。高架下の倉庫で布団太鼓の解体が始まりました。私はそこで帰りました。

夕5時すぎから岡東公園ですき焼き鍋を囲んでの打ち上げをしました。もう一年分の牛肉を食べた気分です。
写真は岡東町の歌の会のメンバーによる年一回の公演の様子です。この夜の歌は「もみじ」でした。・・秋の夕日に 照る山もみじ 濃いも薄いも 数ある中に ・・です。他に数曲歌われました。ご婦人が多いです。写真は光が乏しいので私のカメラではぶれて写りませんが、この左の方の薄暗いビニールシートの上でもたくさんの人が鍋を囲んでビールを飲んで静かに聞いていました。・・以上、です。


2019.10.12
写真は今日12日(土)、P4:50 天野川が淀川に流れ込むところです。河川敷へ行って撮ってきました。
天野川の水は激しく流れていましたが淀川の水位はそれほど高くなかったです。天ヶ瀬ダムは放流してないかもしれません。
私は台風だ大雨だというと淀川を見に行きたくなります。それは昔に淀川の三川合流の近くに住んでいて淀川の水位に感心がある環境で育った名残かも知れません。町内に淀川の水位を役所の仕事で毎日見に行く人がいて、その人は台風時には数時間ごとに私の家の横を通って国道を渡り堤を降り河川敷の水位計の目盛りを見に行っていました。そういう環境で成人しましたから大雨だというと淀川を見に行きたくなります。テレビのニュースでは川に近づかないようにしてくださいと注意をしていますから、私の行動をまるで子供みたいだと言う話しもありますが、危険な所へは行きません。今日見に行った時は傘は要りましたが強い雨でなく風も弱かったです。

昨日11日(金)、町内から回ってきました「至急」の回覧板です。
表題は、 「秋祭り布団太鼓 悪天候時巡行の判断基準についてのご連絡」。
岡東自治町内会会長 橘内さん、岡東青年会会長 井上さんからです。
このたび、台風19号にて、当初布団太鼓の巡行が危ぶまれ・・4町緊急の会で決定された事を連絡させていただきます。
当日、警報発生の場合はその警報解除の時間により以下のようにします。また10時以降警報が続行の場合は布団太鼓巡行は中止します。そうした至急の回覧でした。


2019.10.11
橋本質店の軒下の掲示板です。
右は「全国地域安全運動」 10/11~10/20 枚方市防犯協議会・枚方警察署。
まん中は「交番だより10月号」。
この右の2枚のポスターは岡東自治町内会からきました。
一番左は「安全安心まちづくり枚方大会」 10/12 14:00~15:30 ラポール枚方。枚方市、管内防犯協議会、枚方警察署。
このポスターは枚方質屋組合が入る枚方市職域防犯協会からきました。ただ明日12日(土)は台風が来ていますのでラポールでの大会の開催はどうなるでしょうか。


2019.10.10
岡山手町2番のマンションの駐車スペースに入らせてもらって崖下の岡東町の方角を撮ったものです。昨日のP5:00です。
家々の屋根の中に、原画を拡大すると当店の屋根がわずかに見えます。向こうに野村證券の看板が立ちNTTの電波塔が見えます。右端に百濟王神社の杜の近くの竹藪が写っています。
こうして岡山手町の崖上から北の方角を見ますと岡東町のあたりは下って行った底地で、ビルの高層階には夕日があたり、また右の、つまり東の山の上の百濟王神社の杜にも夕日が当たっています。この時間は高槻の南の野か万博跡のあたりに落ちる夕日が西から水平に差し周辺から突き出た高いところだけを照らしています。


2019.10.09
つづきです。
写真は質倉の入り口の下部です。入口にネズミ返しをつけるようになっています。このアルミの板は跨で入るのに引っかけて危ないので普段は外しています。ネズミはいませんので。消火器を質倉の内と外に設置です。質倉内戸の金網の目の大きさも虫が入らないように決まっています。昭和63年2月大阪府公安委員会の質倉許可を受けています。質倉内部はまだ非公開です。当初より警備はセコムと続けて契約しています。
以上の質倉公開は、町のお寺が30年に一度の秘仏公開をしたというニースがありますが、ちょうどそんなノリで書いています。もっとも質屋が倉を公開してもありがたいものはでてきませんが。


2019.10.08
今日はネタがありませんので橋本質店枚方駅前店の質倉を載せます。これまで警備のことがありますので岡東町にあって非公開でしたが質屋業を終わりますので初公開です。
写真は質倉の入り口の上部です。クマヒラ金庫の扉を開け内戸を閉めたところです。扉と天井の間に「五大力尊御影 上醍醐寺」の御札を貼っています。
この御札はここで質屋を始めたころに枚方質屋組合の質店から泥棒除けにいただいたものです。その方はもう亡くなられましたが今は息子さんが質屋をされています。警備のことについては最初からセコムと契約をしています。(セコムの各種センサーは写らないように撮っています。)


2019.10.07
岡東公園の上に移設された日吉神社旧趾です。
2019.08.20 に移設工事のお知らせを載せています。
位置は岡東公園のグランドの西側、一乗寺さんよりです。芝生の緑の中に建っています。


2019.10.06
つづきです。
学者はあの戦争と死者を想起せよ、と言います。死を忘れるな、メメント・モリです。
この岡東町には死者をとむらうお寺はありませんし、お墓もありません。よく村の墓地の入り口に近いところに兵隊さんの墓があります。例えば陸軍中尉、名前、年齢の墓石が建っていたりします。奥が先祖代々の墓で、入り口に近いところにその村から兵隊さんに行って戦死した若者を祀っています。
これは昔に住んでいた八幡市で母親から聞いた話しですが、山手の家の近くの病弱な女性は、戦時中に戦死の公報が来て、それから暫くしてまた来て、以前は普通の人だったのにあのようになった、と。その話を私が子供の時に聞いたのは昭和30年ごろのことでした。そうした話しを大人から聞いた記憶はこの岡東町の人もあるかもしれません。その場合は戦死の公報が来て変になった人を実際に見ていることになります。
そうした人がいてそうしたことが話された時代は先の戦争とまだ陸続きでした。しかし今はもうあまりに遠くになりました。ではいまの時代に人はどうして死を想起すればいいでしょう。


2019.10.05
つづきです。
私は今の世の中の多くの動きに「ごっこ」があるように思います。特にそう思いますのは政治の世界です。今年は選挙が続きましたが、例えば参議院選挙大阪地方区に維新の若い女性がトップ当選しました。あの女性がどうしてそれほど票を集めたかを説明するのには「選挙」がごっこであったというキーワードでしか説明出来ないと思います。
また 2019.07.11 に「刑事弁護人」の本を載せましたが、その立憲の亀石倫子さんは落選しました。亀石さんのホームページを見に行きますと今も投票前日の7月19日のままです。落選したことについて何の書き込みもありません。力およばず落選しましたとか、また次を目指して頑張りますとか、いやもう政治はやめて法律の世界へ戻りますとか、何も書いてありません。投票日前と同じ笑顔のままです。この事実を説明するには「元々が選挙ごっこであった」ということでしか説明がつきません。
昨日載せました佐伯啓思の文章に、江藤淳が『・・「ごっこ」とは真の現実に直面しない虚構のなかの遊びである。鬼ごっこは虚構の鬼をめぐる遊戯であって、本物の鬼が出てくれば成りたたない』と書いていることを紹介しています。
この論評を引いて、佐伯啓思が最後の方でこう書いています。『この「ごっこ」が、もしかすれば、とてつもない「鬼」を現出させるかもしれないのだ』、と。・・そして、あの戦争と死者たちをたえず想起することによって、せめて「ごっこ」を自覚することぐらいはできる、と書いて終わっています。
この学者は「ごっこ」の社会は危ないと考えているのではないですか。それでせめて「ごっこ」を自覚するためにあの戦争と死者を想起せよ、と。しかしあの戦争と死者は現実にはもう遠いです。団塊の世代でも想起の外です。・・ではどうしたら?


2019.10.04
 新聞を繰っていて見出しにドキットしました。10月2日朝日「〇〇ごっこ」する世界、佐伯啓思さんが書いています。
自分が日頃思っていることを学者先生が書いたはる、自分の考えが当たっていて嬉しいような気がしました。
内容は江藤淳が70年に発表した評論「ごっこの世界が終わったとき」から今のトランプまで書いてあります。もちろん私が日頃思っていることはそんな大きなことでなくて、今現在の人の心に日常的に「ごっこ感」があるような気がしていることなのですが、学者先生が書くとこうなるということで、自分の考えと同じではないかと勝手に思っています。


2019.10.03
ビオルネ北館と南館の間の街道筋、昨夜10時30分です。
左に岡本町公園があり「第2日曜日は五六市」の看板が下がっています。写真には人が写っていませんが、普段はこの時間でも数人の人が歩いています。自転車の人もいます。
夜にスマートホンの万歩計をみて今日の分に少したしてやろうと散歩に出ます。歩く道がまったくの無人はいやですが、街道筋のコースは夜でもちょうどいい程度に人が歩いています。


2019.10.02
三矢町の京街道筋、昨夕5時です。
向こうに三矢公園があります。枚方宿本陣跡地です。その前を右へ曲がると旧国道1号、つまり淀川の堤の上です。左へ曲がると京阪電車の高架です。見上げると線路の向こう山の上に御茶屋御殿跡がみえます。
岡本町のビオルネの間を通りこのあたりまで街道筋をよく散歩します。岡東町から往復で20分、約2000歩です。街道筋というのは昔からたくさんの人が歩いて来ましたから、それが現在にも何か人を呼び込むものがあるのでしょうか。幽霊みたいな話しですけど。いつも自然とこの道を歩いています。


2019.10.01
橋本質店の私道側のフェンスに這う風船蔓です。
2019.06.20 に載せました時に苗の一部をこのフェンスの内側に下ろしました。蔓が伸びて風船が若草色、緑、うす茶色、茶色といろいろな色になってたくさんついています。
上へ伸びる蔓の先をフェンスに絡むように這わしてやると、どんどん横へ伸びていきます。そうして蔓がフェンスに絡まって安定するとより風船玉をつけるように思います。学問的に確かではありませんが。