2025.03.15
先ほど1時30分の岡東町1番の道です。少し雨がパラついて寒い風が吹いてきました。この道を走る自転車がこの頃ほとんどバッテリー付きです。楽だからでしょう。
昨日夕、野村証券前で自治会副会長の築山さんが自転車に乗って信号待ちしておられました。自治会のお仕事で自転車で走っておられるのです。その自転車にもバッテリーが付いていました。横断歩道で二言三言喋って、その時にふと思ったのですが、バッテリーが無い自転車の方が脚の運動になります。バッテリーを積んだ自転車ではだんだんと足腰が弱まるのではないでしょうか。
それから家へ帰ってずーと考えまするに、世の中はバッテリー付きの自転車ばやりですが、逆にあのバッテリーに、自転車で走って発電したその電気を蓄電するシステムを作ったらどうでしょうか。
昔は自転車の明りに、夜はダイナモですか、タイヤのゴムに倒して発電して明りにしました。自転車が登坂で遅くなると暗くなる、止まると真っ暗になる、そんな時代がありました。今は家の電気で充電して自転車に付けて走りますが、逆に外を走った自転車で発電して蓄電し、帰ったら外して家へ持って入って、そのバッテリーの電気で例えばポットに繋いで湯を沸かして酒を燗する。そうしますとSDGsですか、これからの社会の目指す方向にあいますし、また例えばあと5㎞頑張って走ろうとかですね、それと言いますのも3㎞走って発電できた電気では酒を燗するにも湯が熱くならないで生ぬるい。だから熱い美味い晩酌が飲みたいから、その電力が充電できるまで頑張ってペダルを漕ぐ。そうしますと脚の筋力が強くなり、心肺機能も向上し健康に良いです。
太陽光発電、風力発電、地熱発電と再生資源エネルギーを言いますが、自らが運動して発電して、外部バッテリーに一時蓄電して、再利用するエネルギーシステムを作ったらどうでしょうか。こんど一度、副会長さんに言ってみようかしら。おこられるやろうなぁー。


2025.03.14
当店の軒下の掲示板です。
今は左に、市のゴミ収集が午前から午後へ変更になる説明用紙2枚です。
右は上が包括支援センターみどりさんの「みどり新聞」です。下は「交番だより3月号」です。
その下のコンクリートの上に、アジサイの鉢を2鉢並べています。以前の鉢は大きいので動かすのが大変でした。小さな鉢に植え替えました。前の鉢をひっくり返してアジサイの根元の株を分割し、上の古い茎も切って、新しい土を混ぜて植え替えました。また緑の葉っぱが出てきています。


2025.03.13-2
先日ポストに入りました「広報 ひらかた 3月号」です。
表紙はカワセミの写真です。下の目次に「何する?第二の人生の自由時間」と書いてあります。良い目の付けどころです。
右は裏表紙です。いつも見ますのは一番下の右、「人の動き」です。1月末現在、転入968人で転出873人で転入の方が多いです。しかし出生175人で死亡539人で死亡の方が多いです。それで合計枚方市の人口は前月より269人減です。


2025.03.13
当店の横のフェンスの内の水仙ですが今年は咲かないようです。
2025.02.27 に載せていますガレージの山茱萸(サンシュユ)の根元の水仙は咲いていますが、ここの水仙は咲かない年があります。
最近町内のご高齢な方のご不幸がつづきます。ご家族のご希望で、以前のように訃報の回覧は回りませんがあります。ご冥福をお祈り致します。


2025.03.12
昨夜のNHKスペシャルのテレビ画面です。
福島原発事故で放射線が高い地区の元住民がテレビに出ていました。
こうした番組を見ますといつも思うことですが、もう元に復旧することを急がずに、国と東京電力が失敗したのですから、失敗区として、国の直轄特別区にしたらどうなんでしょうか。ワシントンD.C.みたいに。ですから日本は1都、1道、2府、43県+失敗区です。福島の人、怒らないでくださいよ。逆に、復旧作業をしている人が気の毒で見てられへんです。なんでこの人たちはこんな目に会わんならんのかと。

もう除染土を運び出すことを考えんと、国の失敗地として積んどいたらどうですか。その時の政府がどんな約束をしたか知れんけど、現地の人はもう苦労せんときと思うのです。
前にテレビでメルトダウンした原発核容器からデブリを取り出す作業について、どうして進まないのか、どうして単純なミスが起こるのか放送していました。
記者のインタビューを受けた元作業員が顔が写らない形で答えていました。東電の下に下請けがあって、またその下に下請けがあって、下請け同士に意思の疎通はなく、作業現場では放射線の防御服を着てマスクをして、きつい作業だった。そして線量計があって20分ほどしか作業できない。それで体にいいことはないです。東電にしたら下請けの下請けで使い捨てでしょう。若い人がかわいそうです。もう汚染土を福島原発の半径10キロに積み上げといたらどうですか。


2025.03.11
岡東町1番の当店の角の花壇です。今日は夜来からの雨降りで暗く寂しい日です。ほとんど人が通っていません。
ただ先ほど生協の配達の人が前の道に軽トラを止め、後ろの荷台から発砲スチロールの白い箱を3個降ろし雨の中を抱えて走っていきました。
今は角の花壇にはパンジーとビオラが咲いています。つわぶきの緑の葉が雨に濡れ、間の土からチュリップの芽が出ています。


2025.03.10
昨日午後3時半、岡東町1番の裏庭の木斛の葉に陽が当たっています。
光の強さと言い、照る角度と言い、明らかに2月と変わってきています。


2025.03.09-2
昨日8日の日経新聞朝刊1面下のコラム「春秋」です。
福島原発事故について旧経営陣が最高裁で無罪と判断されたこと、地元の人が「なんで東電の言葉を信じたんだろうね」と言ったことなどが書いてあります。
私は団塊の世代で小中高と原発は安全と聞いてきました。工学系でなく文科系ですが、原子力発電は原子炉でウランが核分裂し、その熱でタービンを回して発電する。何か異変が起これば自動的に鉛の板がパタパタと落ち、核燃料と核燃料の間をふさぐ。そうすると、原子でしたか、陽子でしたかが、次の原子に当たらないから、そこで核分裂が止まる。鉛の板を上げるのではなく落とすのだから、それは引力で落ちるのだから絶対に落ちる。だから間違いが起こるわけがない。そうして核分裂が止まった原子炉は自然に冷えて行く。こうした話でいた。
しかし自然には冷えないんですね。冷やしてやらないと。そんなことは聞かなかったです。それは聞かない方が悪いのか、言わない方が悪いのか。しかしほとんど私と同じような知識ではなかったでしょうか。それが津波で、冷却するための電源が無くなって、原子炉が過熱してメルトダウンした。あほかいなぁという気がします。
東電の人は設計図を見たでしょうし、また許認可権を持つ国の官僚も計画図面を見たでしょう。しかもあの地域は地震の時に、過去にここまで津波が来たという目印の石もあります。そこで原発を造るのに、そして原子炉は強制的に冷やさないかんことも分かっている人なのに、どうしてもっと高いところに造らなかったんです。これは東電にも国にも責任があると考えるのが普通です。そしてメルトダウンした原子炉からデブリを取り出すことが出来ないことも皆は知っているんです。


2025.03.09-1
つづきです。
昨日昼に記事を載せていまして、気になって確認の意味でまた夕方に同じ場所へ行ってきました。枚方モールを出たところです。
左の壁の位置までが交野線の線路が乗っているところなんですね。そこから5mほど右に出ている建物の2Fは駐輪場になっているようです。
写真では見えにくいですが下の奥に壁と同じ色の柱が2本並んでいます。あの左が線路が乗っている高架の柱で、右は出っ張っている駐輪場建物の柱ではないでしょうか。
そして今は右の道に面して1F に店屋さんが開いていませんが、前は飲み屋さんやパーマ屋さんが並んでいました。それは京阪の経営の方針でしょうか、許認可の問題でしょうか、設計上の都合でしょうか、別の意図でしょうか。


2025.03.08
昨日散歩に出て枚方モールを歩きました。寒いので淀川の方へ行かないでモールの中を主に歩いています。
モールの1F右に幅の少し狭いガラス扉があるので開けますと写真の道に出ました。左が出てきた枚方モールの建物で右が交野線の高架です。この小路は知りませんでしたが高架の側道ですから元もとあって、京阪の会社の構内でしたから会社の人が通っていたんでしょうか。小路は天津橋へ行く表通りに出て、右の線路の先は宮之阪の方です。
左も右も1Fに食べ物屋さんが入っています。京阪電鉄はテナントを入れて儲けているんです。

前からあった道です。少しカーブしていて、交野線が枚方市駅に入ってくるカーブを思わせるものがありますので、この上を線路のように誤解したと前にこのページに書いたことがあります。後ろのカーブを反映して建っているんですね。
この建物の裏が上に載せました小路です。どちらも同じく天津橋へ行く表通りに出ます。ですからどちらも関西外大生の通学路ですが、では、どちらの道が学生としてより好ましいか。
そんな問題が立ち上がるような町づくりが良いと私は考えます。「清く正しく」ばかりでは町として成熟しませんし。


2025.03.07-2
昨日の日経新聞朝刊1面です。トランプの連邦議会議事堂の施政方針演説のことが載っています。
内容より世の中は大変な時代になってきたなと思います。ロシアがウクライナに侵攻し、首都キーウ郊外のブチャーでロシア兵が軍用車両で走りながら、脇を自転車で走る市民を、まるで遊園地で的をコルク弾で倒すようにパンーと撃つ。自転車の人はバタッと倒れてそのまま道端で死んでいる。おそらく自分は何故に撃たれたのか、何故に自分は死んだのか考えることもなかったでしょう。もう滅茶苦茶しよる。それでもトランプは停戦和平にディールを言う。地下資源、レアアースの権益譲渡を求めると。もう世界には善も正義もないのかと思う。


2025.03.07-1
当店のガレージのサンシュユ(山茱萸)の黄色い蕾が開きかけています。毎日寒いですが日に日に膨らんでいます。
先ほどデジカメで撮ったのですが焦点が蕾以外へいってぼけています。一番ましな画像がこれでした。


2025.03.06
日によって散歩のコースを変えています。このコースならスマホの万歩計が3000歩台、このコースなら5000歩近くいくと考えて歩いています。昨夕は4500歩のコースを歩きました。
枚方モールの中を抜け、天津橋を渡り、天野川の右岸の堤防から川べりへ階段を降り、京阪の鉄橋の下をくぐり、写真は「かささぎ橋」のところまで来たところです。上の道が昔は国道1号線でした。時代によって戦車が走ったり、進駐軍が通ったりしたんでしょう。この橋の下でトランペットを吹いている人、ハーモニカを吹いている人など時々います。上手いです。聞き惚れるほどです。

天野川の右岸の川べりを歩いてきて最後の橋の所から撮りました。
天野川が淀川へ流れ込む河口です。雨降りが続いたから水かさが比較的多いです。前は水辺に木が繁っていたのですが防災のためか切られたようです。よく野鳥がきて、それをバードウォッチングの人が撮っていました。なにか殺風景です。


2025.03.05
昨夕5時の左が枚方市総合文化芸術センター、右が関西医科大学校舎です。今は大学側に梅が咲いています。散歩によくこのコースを歩きます。
昨夕も散歩して枚方モールの中を歩き、トリンプの下着のマネキンの横を通り、(モールの道がここで S 字にカーブしていてパンティを履いたマネキンに向かって歩いていく形になります。それで前を向いて歩いていたら見ようとしなくても自然と見えて、それで色が毎日ちがうとか、今日は刺繡がしてあるとか分かるのです。)そしてモールを抜け京阪の高架の下をくぐり、かささぎ橋を渡り、天野川の左岸の堤防の途中でこの道に入ってきました。
昨夕はかささぎ橋のあたりから雨が降ってきて風が吹いて冷たくて足早に歩きました。ここで道は少し下り坂で、ふと去年の雨の日に、枚方駅前の濡れたグレーチングの上で滑ってケガをして救急車を呼んだことを思い出しました。(関連記事を 2024.06.05 と 2024.07.19 と  2024.07.30 と 2024.07.31 と 2024.08.13 と 2024.08.24 と 2024.09.03-2 と 2024.09.11 と  2024.10.08 に載せています。)
この道は歩道用のタイルでグレーチングのように滑ることはありませんが、雨で寒くて下り坂で前のめりに急いでいる自分にふと気が付いて、あの滑った時と同じ状況だと立ち止まりました。そして背筋を伸ばして深呼吸をして記念に写真を一枚撮りました。
去年あそこで滑ったことが私にとってはもの凄いマイナスです。脳は大丈夫でしたが歯が割れたり折れたりしたのがその後に見つかり今もまだ治療しています。どうしてあの時に前に飛び出すように顔から落ちていったのか。どうして手や腕で顔や上体をカバーしなかったのか、今でも分かりません。


2025.03.04-2
昨日3日の日経新聞朝刊1面下のコラム「春秋」です。トランプとゼレンスキーの会談が物別れに終わったことが書いてあります。
私はこのコラムを読んで気分が良くなりました。読者は新聞記事を読んで単に事件を知るということだけでなく、知って楽しみたいところがあります。その意味でこのコラムは読者を嬉しくさせてくれました。
昔から新聞や雑誌は政府批判や権力批判をして読者をつかんできました。批判というものが読者を引き付けるジャーナリズムの武器でした。それが最近は流行らないのか前ほど舌鋒が鋭くなくなりました。全体に大人になったと言うか、その分、青年の真っ直ぐさがなくなりました。その一方でSNSでは無茶苦茶な激しい言葉が行きあっています。それはもしかしたらプロのジャーナリストの筆が鋭くなくなったからではないか。


2025.03.04-1
今朝も岡東町は雨が降っています。しかも昨日より寒いです。これは完全に氷雨です。その冷たい雨の中を先ほど9時30分ころゴミ収集の車が行きました。
写真はきのう自治会副会長の築山さんが掲示板用に「交番だより」と一緒に持ってこられた一般ごみ収集の時間帯変更の市役所のお知らせです。
写真の右の地図は上が枚方市駅の方向です。岡東町にも道筋によって赤丸と黒丸があります。赤丸は今回収集の時間帯が午前から午後に変わる所です。ごみ収集車が走る道筋によるんですね。


2025.03.03-2
左の白い紙は昨日公園の掃除が終わり、9時から岡集会所で老人会の役員会があり出席しました、その役員会に用意された案件のメモ用紙です。べつに機密文書ではありませんので用紙全部を写真に写してもいいのですが端の一部にしときます。
右は昨日の毎日新聞朝刊2面です。1面トップの「米 ウクライナ会談決裂」の続きを報じています。左の下に廣瀬陽子・慶応大教授(国際政治)から新聞記者が聞き取った記事が載っています。読んでいてそうかなと思うところがありましたので書いてみます。
7行目からです、「だが、トランプ氏はプーチン露大統領のナラティブ(物語)を信じ切っていたため、前提から話がかみ会わず激しい応酬となった。」、ですが、この分析は正しいでしょうか。続けて書いてある「ゼレンスキー氏が通訳なしで英語を話し、表現が直接的になったことも言い争いの一因と言える。」は、そのようなことはあると思うのです。
この廣瀬教授は以前にロシアがウクライナに侵攻したときにテレビ番組に出演し、戦いが終わる条件は何でしょうとテレビ司会者に聞かれて、言いにくいことですがと前置きして「ロシアの兵士が2万人死ぬことです」と答えました。2万人死んだらロシア国内でお母さんの組織が立ち上がり戦争反対を言うようになりプーチンが戦争が続けられなくなりますからと。しかしもうロシア兵は9万人も死んでいます。しかしロシア国内で一向に厭戦気分は盛り上がらずプーチンは相変わらず支持があります。この大学教授が考えたようには、世界は動かなかったのです。


2025.03.03-1
今朝10時前の当店の前の道です。
雨が降りつづいています。3月だから寒い雨、氷雨という感じはありませんがうっとしいです。こうして土が水を含んで花木が芽吹くのでしょうが、しかしやっぱし雨はいやです。


2025.03.02
今朝は岡東公園の掃除の日ですので7時30分に行きました。
昨夜からの雨が残っているような空でしたが、清水老人会長さんと数名来ておられました。10人ほどで掃除を始めましたがだんだん雨が降ってきました。それで終了し解散しました。写真は帰り際に、掃除に行った証に下の道路から花壇の花を1枚撮ってきました。


2025.03.01
2025.02.28 の先月のつづきです。
岡東だよりNo.80 の中の4ページと5ページです。左は新年互例会のつづきで写真が6枚載っています。「来賓者と自治会重鎮の方々」「会話が弾む女性重鎮と若手の方々」「青年会の方々」「市長も入られてカシャ!」「中司衆議院議員を囲んでカシャ!」「伏見市長を囲んでカシャ!」。
右は「節分餅つき大会」の記事です。このページは写真が9枚載っています。

6ページと7ページです。

左のページは餅つき大会の続きの記事です。写真11枚載っています。「自治会関係者等も負けじと餅つきに奮闘」「子供達も餅つき挑戦」「参加者の集合写真」。
右のページは「枚方市の歴史(ひらかた温泉)」のことが書いてあります。銀幕スターも訪れた!

裏面の8ページです。
「なんでも雑学」に今号は中尾都山(都山流尺八開祖)です。当時の都山邸屋敷や道場が現在の岡東町のどの辺りにあったのか略図が載っています。
表紙の題字の部分をトリミングして今月の上の額に使いました。今まで額に使う画像は横幅700ほどでしたが、ソフトが新しくなり先月から横幅1000を超えています。どういう単位か知りませんが。