2019.03.29
周辺の住宅地図です。
中央上に枚方市駅があります。その右下に白枠で囲ったあたりが岡東町です。右の青色の天野川沿いの白枠のあたりが川原町、地図の左の方にあるのが岡南町、下が大垣内町です。上部の線路の向こう右の白枠あたりが新町で、同じく左が岡本町です。京阪の線路の敷地は岡東町です。ここに街道筋の三矢町を加えたあたり一帯が昔の一村の感覚でしょうか。

この町それぞれに自治町内会があります。その役員さんは昔からその町に住んでいる人が多いと思います。岡東町に限って言いますと、自治会の役員さんはほとんど子供のころから岡東町で育った人達です。その昔に岡東町のお宅のお坊ちゃんやお嬢ちゃんであった人達です。
私は昭和の終わりに岡東町に来た者で、また先ほどの村の範囲に前に住んでいた者でもありません。それで私の視点は今でもこの土地の人と違うことがあるかも知れません。ですから私が載せる「この町の風景」は地元自治会の公式でないのは当然として、公認でもなく、もしかしたら地元と少し離れているかも知れませんです。


2019.03.27
つづきです。
24日のイベントに出ていたお店です。
左のテントは駄菓子屋さんです。1個20円です。5個買いました。右はコーヒー屋さんで1杯200円でした。
テントの前で煎れてくれるコーヒーを待っていると、そこへたまたまイベントスタッフの可愛い女の子が二人来ました。聞きますと市内の大学に通う女子大生でボランティア活動で来ています。二人とも「交野が原」のことは滋賀県から大学に通っていて今まで知らなかったようです。それで、いや私も隣の八幡市で育ったので「交野が原」は知らないけど、枚方の小学校の校歌に「交野が原の~」と歌われるらしくて、地元で小学校に通った人は初耳ではないらしいですよと言いました。


2019.03.26
つづきです。
「交野ヶ原物語」の冊子です。会場の机に自由に持って帰れるように並べてありました。
1~2号は去年もらいましたので、3~5号をもらいました。発行は3号が 2018年3月、4号が6月、5号が10月です。「天空の地上絵を日本遺産へ!」と書いてあります。
去年もそうですが最初に・・天空の地上絵・・と書いてあるのを読んで、それは天空にあるのか地上にあるのかと一瞬考えました。宮崎駿の「天空のラピュタ」、雲海に浮かぶ竹田城趾「天空の城」は空にあるイメージです。しかしこの場合は地上にあるのですね。天空と地上絵。この二つのロマンを繋いで、それを天空に想うのはロマンですが、地上に降ろすところに違和感が・・いや、天空にあるのですか。それなら星座ですね。交野ヶ原星座?


2019.03.25
昨日24日(日曜)岡東中央公園で「天の川・交野ヶ原日本遺産プロジェクト」のイベントがありました。
主催は去年このページの 2018.03.22~28 に「交野ヶ原フェスタ」として載せましたイベントと同じであるように思いました。
先日ポストにチラシが入っていましたので私は3時30分ごろ会場の岡東中央公園に行きました。天気がもうひとつで人出はまばらでした。テントが幾張りかあり飲み物や駄菓子の店が出ていました。写真の右は電車トーマスに乗って円い線路を走るところです。安全のために大人が2人ついていました。左の写真は公園に長く敷いて天の川に似せてたものです。夜はライトアップされキラキラ光るようになっています。チラシの案内では今日の催しは13:00~19:30です。


2019.03.23
前の中司宏さんの府政報告会のつづきです。
むかし枚方市駅前のある店に、中司宏さんと枚方三中で同級生だったご婦人が長くパートで働いていました。時々その店へ行くと、同級生の中司さんの話しをしていました。それがいつも中司君、ナカツカクンの「君」呼ばわりでした。その時は既に中司さんは市長で枚方市で一番偉い人でしたが、それでも中司君です。一度、枚方三中の同窓会の集合写真を見せてもらいましたが、同級生の中で中司さんが市長の顔でなく中学生がやる少しおどけた顔で写っていました。だれも中学生の昔に戻れませんが戻りたい気持ちがあります。先の同級生の婦人は昔から中司君は真面目な人だったとよく言ってました。

司馬遼太郎が本の中で、「少年性をなくした後の人生など滓みたいなものだ」と書いていましたが、何歳になっても「中学生の自分」といったものを気質として持っていたい気持ちが人にはあります。
政治家というものはいつも厚い上着を着てなくてはならないでしょうし、また時により政党という気にいらんコートも羽織らなならないこともあるでしょう。しかし小さな会場でじっくり政治家本人の話を聞いていると、上着を透しコートを透しその人が出るように見えます。先の三中の同級生のご婦人が言うように中司さんは真面目な人だと思いました。


2019.03.22
20日(水曜)の夜7時より岡会館で大阪府議会議員の中司宏さんの府政報告会がありました。
写真は会場でもらった資料の一部です。(聞きに行って何枚か写真を撮ったのですが使える写真がなくてすいません。)
中司さんのお話は、府議会議員はどんな仕事をしているのか、市民の立場からは見えにくいことがありますが、枚方市は今1000ほどの事業をしていて多くは何かの形で府の事業と関係しています。枚方市の府議の定数は昔は5でしたが今は4です。枚方市の市民のニーズに合った政策を行政に伝えています、とのことでした。
また報告会で聞きましたが、中司さんは平成7年に市長に就任され、その年に枚方市の人口が40万を越え、枚方市駅に特急電車が停まるようになりました。報告会は夜8時ごろに終わりました。


2019.03.19
2019.03.15 の続きです。
先日の「平和の燈火」のプログラムにも「市長あいさつ」が載っています。
このページに伏見市長さんがどれぐらい載せているか調べますと、一部くっただけでも例えば、
2018.03.22 の「交野ヶ原フェスタ」の記事、
2018.03.12 のラポールでの警察署主催の安まちメールの記事、
2018.05.14 の枚方・百済フェスティバルの記事、
2018.05.07 のパナソニック パンサーズの優勝報告会の記事、などがすぐに出てきます。
その会場において伏見市長さんが挨拶をされた記事です。

それぞれの会場で市長は催しに合った挨拶をしなくてはなりませんから準備が必要です。
その点について、たまたま今年の岡東町の新年互礼会で伏見市長さんに聞く機会がありましたので、秘書は何人ぐらいいるのですかとお聞きしますと、9人ですとのことでした。市長公室のことではないかと思います。(別に個人秘書のことは聞きませんでした)。
つづけて市長は行かれる所が多くて大変ですねと聞きますと、この地区は盆踊りに行ったから秋祭りは失礼さしてもらうとか、いろいろ考えてスケジュールを組んでいます。それで回れても挨拶の時間のことがあるので一日に3ヶ所がいいとこですとのことでした。
そうした準備におそらく先の市長公室のスタッフが下調べをしたり、文案を練ったり、市長の予定を組んだりしているのだと思われます。

去年の岡東中央公園であった百済フェスティバルで見ていましても、式が終わって大方の人が帰ったのに、まだ伏見さんは残って帰って行く人々に挨拶したはるんですね。また五六市の日にも街道筋で見掛けます。歩いてる人に、やぁやぁー、おぉーという調子です。
またこれは前の市長の竹内さんも同じで、以前このページに書きましたが、ラポールの前の横断歩道を渡って来る人すべてに会釈しながえら急いでラポールへ入っていかれるのを見たことがあります。ラポールで何か催しがあって市長として会場で挨拶するのに急いだはるんですね。あの丸まっちい身体で駅の方から横断歩道を走りながら。反対に渡って来る人すべてが枚方市民とは限らないけどと思ったものです。              

市長がそうして市民に気を使い顔を会わすことが市長の仕事と言えば仕事の内なんでしょうが、大会会場で市長挨拶が終わったら早く市長公室に帰って勉強をされるとか、道を歩くのに市民に気を使わずに考えごとをしながら歩かれるとか、例えば今日は空がきれいなぁーとか、そうした日常の余裕が新しいより良い枚方市政を生むことに繋がるということはないでしょうか。

また市民も市長が道で挨拶してくれやはたから支持をする、催しに来てくれやはたから票を入れるということではなく、市長も市民も共に個として成熟すること。・・
・・この文章をここまで書いて来て、その「成熟する・・」というところに、(例えば先の伏見さんのビラにもあります人口減少に対する政策に関係して)、大阪府の市町村の中でも将来人口減少率が比較的少ないと予想される、吹田・豊中の市民と市長のあり方のような気が、何となくしませんか。気がするだけで実際のことは知りませんが。
いやいやいや!私の考え方は間違ってるかなぁー。「市長も市民も共に個として成熟すること」なんて、内田樹みたいに格好つけて書いたけど、市長が盆踊りに来て踊ってくれやはて嬉しいな!餅つきに来て杵もってくれやはて楽しいな!で、やっぱしそれでいいのんかも、・・です。
・・結局、この問題考えたんですけど私に解らへんかったんです。


2019.03.17
橋本質店の前のアプローチの紫陽花鉢です。
今朝日曜日は朝から弱い雨が降っています。
休日なのでいつも軒下に置いている鉢を雨のあたる外へ出しました。コンクリートの半分が雨に濡れています。

左の写真はガレージ側の南天鉢です。
こちらも軒下に置いている鉢に雨をあててやろうとガレージの砂利の上へ出しました。
今朝の雨は植木に水をやるというより雨に打たしてやりたい気分がします。土にもしっくりとやさしい感じがする春の雨です。


2019.03.15
つづきです。
だいたい私に政治のことは何も分からないので市政について書かない方がいいのかも知れませんが、しかしこの町に住んで、市民税払って自治会費払って、枚方の水道の水飲んで、市の道歩いて、その者がこう思うと書くのは無責任でも、あっていいことではないですか。そんな程度のこととして書いています。

写真は昨日の伏見市長さんのビラの裏面です。
上の題字に「子育て支援の充実で未来の枚方を創ります」とあり、左ページは「待機児童解消に向けて」の小見出しで、子育て施策の充実に取り組んできたこと、これから取り組むことが書いてあります。右のページには「人口減少に歯止めを」の小見出しで、この3年間は転入-転出の社会減は一定改善されていることが書いてあります。


2019.03.14
2月にポスティングのあった市長の伏見たかしさんのビラ(市政報告と方針)です。B4の4っ折り両面刷りです。右下の4分の1が表面でB6版の大きさにたたんでポストに入っていました。
先月中旬にポストに入ってるこのビラを見たときにネタが一つ出来たと思いました。ところが写真に撮ったのが今月8日です。まだ1行も書けていません。どう書くか考える前に、ともかく書き出したらよかったんですが。

顔写真のある面が表紙です。上の2ページ目の出だしの文章は、「伏見たかしが枚方市長に就任して3年半が経過し任期満了まで残り半年となりました」、と書いてあります。


2019.03.13
載せるネタがないわけではないのですが、コメントが書けません。
ぱっと見て、写真に撮って、思ったところをコメントにする!・・それは理想です。しかしそのためには先ず見て、思わないけません。ところが思うのに時間が掛かります。しかも文章にすると思ったことは論理的でありません。それで文章になりません。
もっと普段からいくつもネタを仕込んでおいて、同時進行でそれぞれ少し書き出して暫く寝かして、文章を手直しして、それからUPするようにすればいいのでしょう。そうした余裕ができませんが、まぁ焦らずに行きます。


2019.03.11
前のつづきです。
午後7時に再び岡東中央公園に来ました。なにせ家と公園と同じ岡東町ですからすぐに来れるのです。
公園はすでに暗く、グラウンド一面にキャンドルがぼーっとした温かい光を放っていました。
記念撮影をする人、キャンドルカップの間を歩く人。
公園にはたくさんの人がいました。

私は写真を撮るのにカメラがぶれないよう神経を使っていて、つい足もとのキャンドル1個を転かしてしまい火を消してしまいました。近くにいた担当の人に謝って火を点けてもらいました。

一番下の写真はステージで歌うバンドです。
パンフレットには「あかりコンサート」として、YTJ メンバーによるパホーマンスと、枚方出身の三人組ロックバンド Swish! とが載っています。

思いますのにクリスマスツリーやイルミネーションや、神戸のルミナリエなど光を使う催しは目立って華やかな割りに経費が少なくできるのではないでしょうか。夜の暗さはすでにありますから。
費用対効果の点で優れているのでないかと、そんな平和への思いとか、復興への願いとかに関係のないことをつい考えてしまいます。そんな者でも暗がりにぼーっと浮かぶ明かりには哀悼の念や祈りの感情が自然と湧きます。不思議なもんです。家族と来たような小さな子供が楽しんでいました。


2019.03.10
昨日、9日午後5時20分の岡東中央公園です。
「平和の燈火(あかり)」、開催の準備をしています。
定刻が近づきふれあい通りに人が集まってきました。
テント内ではキャンドルカップの記入の受け付けしています。

公園の広場にはすでにカップが並べられ、コーナーにより小学校単位で2列に並んでいるところがありました。
ここのカップは可愛い絵柄で、文字は小学生が書いたと思われます。
本部席でもらいましたパンフレットによりますと、5時30分オープニング、開会宣言、市長あいさつ、黙祷、点火式となっています。

パンフレットの記載では、この催しは2012年から始まり今年で第8回を迎えます。市民一人ひとりが平和への思いや願いを込めたメッセージをキャンドルに託し、参加者全員で平和を願い、また東日本大震災で犠牲になられた方々を哀悼し復興を願う行事です。

また1939年3月1日に当時の陸軍の禁野火薬庫大爆発し多数の死傷者が出ました。枚方市では平和の大切さを伝えるために、3月1日を「枚方市平和の日」に制定し、と書いてあります。

毎年この時期に行われ、現実に今年も明日11日が東日本大震災の日であります。それでこの「平和の燈火」は東北の震災の追悼行事とだけ思っていましたが、パンフレットを読むとこの「平和の燈火」は東北の震災だけでなく「枚方市平和の日」の事業の一環であるように受け取れます。私は予定がありましたので式が始まる前に帰りました。


2019.03.08
上の写真は3日に撮った百濟王神社の境内です。
落ち葉が掃かれ土の地面には大木の根が走っています。

下の写真は同じく3日に撮った岡東中央公園です。
公園の地面はすべてコンクリートで覆われ花壇の中以外に土の面はありません。以前ここで植木市をやっていましたが根巻きした大きな植木も土の上でなくこのコンクリートの上に置かれていたのでしょうか。地面のことは今まで気にしませんでしたが昔からこうだったんですかね。今は4時40分、だれも遊んでいません。
コンクリートばかりでなく土の地面があるのはいいですよ。やっぱしやわらかいし棒きれで絵や線が描けるから。


2019.03.07
左の写真は、岡東町市営駐車場の向かいの都山邸跡の横の扉です。
右の写真は、橋本質店の向かいの水路をふさぐ扉です。この土地はどちらも岡東町14番で扉と扉の間は繋がっています。1本の水路の上流と下流です。
当店の向かいは水路に人が落ちないように扉でふさいであり、下流の市営駐車場側は上が暗渠になり人が入らないように扉で閉めてあります。
あれはもう20年ほど前になるでしょうか。市営駐車場が出来てしばらくして、私は市役所の道路課に電話をしました。
 
私は橋本質店というて住宅地図を見てもらうと、岡東町1-11に質屋があるやろ。こっちの水路も向こうのように暗渠にして、あっちからこっちへ上を歩けるようにしてくれへんか。そう言いますと市役所の人が、ここを道にして歩く人がありますかと問います。いや、この上が道になったらお客さんが市営駐車場に車を駐めて当店へすぐ来てもらえるから。そう言いますと、電話の向こうで市役所の人が、カッカッカッと笑いしました。こういう笑いを「呵呵大笑」と言うのですね。私も頭から無理だとは思っていましたが。


2019.03.06
3日(日曜)はカメラを持って近くを歩きました。これは隣町の岡山手町です。
左の写真は、道がここで右の階段と、左の擁壁に沿うて回り込む細い道とに別れます。
右の写真は、階段の様子です。上がりきった上は鉄扉が閉まっていて、自分で空けて通って閉めておくようになっています。この上の住所は岡山手町2番でした。

左の細い道をとると、コンクリートの高い擁壁を回り込むようにして登っていきます。
まん中の写真は右の石垣(山側)と左のフェンス(谷側)の間の細い道を上がっていきます。
一番右の写真は最後に階段を上がるところです。上がった上は、上の写真の階段とまた別のまだ上へ出ます。
その昔はこのあたり山や谷が入り組んだ複雑な地形だったのでしょう。前に一度通って、その時は近くにこんな道があるので驚きました。里道でしょうか?


2019.03.05
3日の日曜日は毎月の通り朝8時から岡東公園の掃除をしました。
写真は掃除を終えて、皆は温かい缶コーヒーを飲みながら老人会長の清水さんの「これで終わります」のところです。この時期は落ち葉が少なく掃除は早く終わりますから清水さんはもう少し話されてもいいのです。枚方マイスターですから。政治・経済・歴史にわたる一話でも。普段からネタを考えといてもらって。岡東だよりには載せられないような、この町の風景には書けないような、ここだけの話しと言うやつでもいいですよ。

左の写真は岡東町1-11の当店の横から百濟王神社の右に見える大木です。
東を向いて右ですから神社の南面です。3日の昼から登って撮ってきました。鳥居の手前にあります。ドングリの木です。
去年の強い台風の後、猛烈な風に葉っぱも小枝も引きちぎられて当店から見上げると木が透け透けになって1回り小さく見えます。しかし登って木を近くで見ますと枝からいっぱいに芽が出ていて今年の夏には元に盛り返すのでないかと思うほどです。


2019.03.04
昨日、夜7時よりメセナひらかた会館6階 大会議室で「枚方市駅周辺地区第一種市街地再開発事業等に関する説明会」がありました。
前に市役所から説明会について回覧がありましたので行きました。入口で住所氏名を書き写真右の31ページ(上がP-1で下がP-2です。一枚の紙で4ページの組み方)の資料をもらい写真左の扉を入りました。
市役所の人が5~6名、プロジェクターを使って説明しました。他に質疑の時にマイクを持って走る人が数名いました。住民は約100人ほど、岡東町からは自治会長の橘内さん他5名ほどでした。(詳しく見てないので確かでありません)。
説明会の表題は市駅周辺地区となっていますが内容は北ロータリーや新町のことで、岡東町のことではありませんでした。説明会の回覧の地図にこのあたりという楕円の中に岡東町が入っていたと思うのですが。また表題の第一種とはなんのことですか?例えば地域のことですか?
 
新町の人が何人も、例えば外周道路について説明を求めていました。イズミヤへ渡る手前で左折して天野川の堤を下り、2車線の道は京阪の線路の下を通って、そこから・・どう行くんです?。私はスクリーンの映像を見て当初かささぎ橋の所まで行っていると思ってましたら、まだ京街道までもとどいてない?いや繋がっているんですか?。わかりませんでした。新町の人は住んでいる所に影響があるから不安に思われています。
最後に橘内さんが挙手されて、市役所の人に、もっと近隣住民と会合を持って話しをしないと、と意見を言われました。この説明会は今夜4日(月)の夜7時から同じ内容で行われます。


2019.03.03
先月、回ってきました町内の回覧です。
岡東町1番の「建物解体工事に伴うご説明とご案内」です。解体工事会社からのものです。
左の用紙には工事の期間、作業時間、会社の連絡先などが書いてあります。
右の用紙は解体工事の日程表です。

解体工事の現場です。
去年6月の地震により外壁のモルタルが一部が剥がれ、その後どうされるのかなと思っていました。
こちらの住宅は前の道が広く工事車両の進入や解体工事、廃材の搬出などしやすいです。もう木造2階建ての住宅はおおかたなくなりました。


2019.03.01
左は先月、2月に大阪質屋協同組合から当店に配付のあったポスターです。
右は去年のポスターです。どちらも「7月8日は質屋の日」のキャンペーンです。このポスターは例年は5月~6月に組合から来ますが、今年は御退位・改元の関係で2月の配付になったのでしょうか。今年のポスターの女性はコミッック「七つ屋 志のぶの宝石匣」の、志のぶです。
ポスターの左の下に、「のだめカンタービレ」の二ノ宮知子先生が東京下町の老舗質屋を舞台にした最新作、講談社Kissで大好評連載中。全国質屋組合連合会は当作品のアドバイザーとして協力しています、と書いてあります。今年のポスターをまたその内に当店の外壁に貼ります。