2025.08.12
昨日、8月11日の毎日新聞9面です。
作家の池澤夏樹さんに取材した記事です。「1945年に生まれて 池澤夏樹 語る自伝」の本が出ました。池澤氏にとって戦後の80年とは、そして今思うことを聞いた、です。
この記事は読んだ甲斐がありうれしくなりました。最後の部分にこう書いてあります。「・・選挙がぶっ壊しの祭りのようになっていて、民主主義が本当に危ないと感じています。」
私も先日の参議院選挙のテレビニュースを見て、「選挙がぶっ壊しの祭りの」、この言葉がよく分かります。


2025.08.11
昨夜9時からのNHKスペシャル、「イーロン・マスク、アメリカ改革の深層」の画面です。
国の効率化を推し進めるとして、解雇された職員がデモをしている場面です。テレビを見ていてアメリカという国はどうなるのかと思います。イーロン・マスクは滅茶苦茶な人間で、日本は影響を受けないようにしなくてはいかんと思いますが、毎日ほど内田樹さんのX(ツイッター)を見にいっています。
昨夜はこのテレビ番組を見ている前のテーブルに日経新聞別冊「The STYLE」が開いていました。昨日は1面に「須賀敦子の日記をたどる」です。須賀敦子の本は大事にしなくては。


2025.08.10
つづきのような。
ここが枚方市駅の駅舎から出て第一歩を記す地面のつもりです。今朝また通りましたので撮ってきました。
昨日の記事は最初 3~4cmほど水に浸かりと書いていましたが、正しくは 2~3cmです。それでも靴は完全に水没で、今朝軒下へ出して乾かしています。しかし今日も時どき雨が降っています。・・記事のネタが続かないんです。やっぱしボーっとして歩いてるんですね。


2025.08.09
昨夕5時過ぎの枚方市駅通路から陸橋へ上がるところです。陸橋の上が雨のしぶきで白くなっています。もっと凄く降った時がありましたが、その時でも傘をさして歩いていく人がいます。
私は建物の中を歩いて下へ降り、ドラッグストアの方へ出ました。前の横断歩道を渡るのに、アスファルトの路面全体に2~3cmほど水に浸かっていました。路面の轍の凸凹で水が溜まっているのでなく、降る雨の量が多いから水がはけてないようです。水の中を歩いて横断歩道を渡りました。これが枚方市駅前の第一歩を記す地面ですよ。
よく都市開発工事をしている現場を中継するテレビ番組があります。その中で地下に大きな貯水槽のようなものを造って、線状降水帯とか特別激しい雨の時は一時そこへ雨水を落とし込んで地上の水被害を防ぐ工事があります。
それで反対側の北口のロータリーの工事が長いことかかっていますが、あれはそんな地下に大きな貯水槽の工事をしているのでないかと言う人がいて、しかしそれなら地下を掘った土を運び出すダンプカーが走ることになるけど、そんなダンプカーは見いひんと言っています。こんないろいろ議論に及ぶこともあり、私は散歩でボーっとして歩いているように見えるかもしれませんが、いろいろ考えて歩いています。それほどのことはないか。


2025.08.08-2
当店の軒下の掲示板です。
掲示板の左の2枚は、詐欺を防ごう!「ストップ! A T M での携帯電話」のポスターの裏表です。警察からもらいました。
右上は生ごみ収集の時間変更のお知らせです。自治会からもらいました。下は「交番だより8月号」です。自治会からもらいました。
右は今朝役員さんが持ってこられた「盆踊り大会」のポスターです。外壁のタイルに直貼りしました。9月5日(金)午後6時~。岡東公園です。
それと昨日記事に書きましたように、昨日は朝8時ころ少し雨が降りました。そのあと晴れて暑かったですが夜の8時だったか9時ごろだったか、少しまとまった雨が降りました。それで今朝は涼しかったです。今朝も雨が少し降って、それは直ぐに上がりましたが、狐の嫁入りというんですか、今は晴れてまた暑くなってきています。


2025.08.08
このごろ朝に近場を散歩することがあります。写真は大垣内町一丁目8番のJA北河内枚方中央支店横です。よくこの道を通ります。
フェンスにこれはナンキンですか、ウリですか、つるが伸びて大きな葉っぱがひらいて、黄色い花が咲いて、何個か成っています。その作物の勢いというか力というか、さすが農協です。


2025.08.07
今朝8時ごろ久しぶりに雨が降ってきました。喜んでアジサイの鉢を軒先へ出しました。しかしそれほど降らなかったです。今は10時20分ですが当店の入口前のコンクリートの凹みの部分が雨の水で濡れているのが分かる程度です。連日暑くてうんざりしていますので、もう少し降ってくれたらという気がします。
それで考えますのにバタフライ効果というのがありますね。例えばブラジルで1匹の蝶が羽ばたくとテキサスで竜巻が起こるという。その理屈を使って、スーパーコンピューターで計算して、定期的に雨を降らしてもらえませんかね。ここでちょっと打ち水したら気化熱で蒸発して風が起こって雲を呼んで、ザーと白雨ですか、一瞬前が見えないような雨が降ってきてサッと上がって涼しくなる。この A I がどうとか言う時代に、それが出来ないことはないと思うねんけど。


2025.08.06
昨日は朝に新聞1面を撮ってUPし、大阪の方に用事があり行きました。2時過ぎに天満橋まで帰ってきて10店ほどの食べ物屋さんの前を通り、トイレへ行く通路の壁にスタッフ募集の紙を見ました。
朝にUPした記事が最低賃金でしたから、まだ意識にあり時間給のところを見ました。だいたい1120円~とか、1150円~とかです。交通費支給、制服貸与、他にまかない(200円)と書いた紙もありました。


2025.08.05
今朝の朝日新聞の1面です。
最低賃金、時給1500円を実現する労働者の要求がありましたがまだ遠いです。
喫茶店へ入っても、カレー屋さんに入っても、例えば定員が3人いて仮に時給平均1500円として1時間あたり店は人件費だけで4500円稼がないかん。それ以外にもテナント代、電気代など経費が要る。店に客が今は何人いて、なんぼ払ってなど考えますと店はしんどいやろなと思います。先日、百姓がテレビカメラの前で、コメ農家は時給にしたら10円やと笑っていました。


2025.08.04
2025.08.02 のつづきのような。
大垣内町一丁目4番の市道から広いガレージの先の百済王神社の杜を撮りました。ちょうど私の家とは百済王神社をはさんで反対側です。こちらの面は竹が多いようです。
枚方の地図を広げますと、台地の西の端が市民病院で、東の方は生駒の山裾までが交野が原台地でしょうか。太古より淀川が台地を侵食して流れ、人が舟運で行き来し、街道筋が出来て町ができ、京阪電車がその町を繋いで淀川の近くを走った。ですからだいたいが駅前は低い土地です。その時代時代に高貴な余裕のある人はこうした高台に住んだんでしょう。
私の若い時に、もう50年以上前の朝日新聞ですが、「第二京阪国道の構想」のイラストが載ったことがありました。そのデザインは上部が自動車の道路で、橋脚の下が京阪電車が走る絵でした。そして今の第二京阪のルートのようでした。つまり交野が原を突っ切って京都へ行く案だったと思います。あれは新聞社が勝手に絵を描いたものでしょうか。
現実に今でも萱島の車庫の辺りで複々線の線路を分岐して、向こうに見える第二京阪の下へ入れたら、交野が原を突っ切って京都まで行きます。そして十条辺りで地下に潜れば京都駅の下でJRに繋がります。あの絵は何だったんでしょうか。
またこんなことが他にもあります。池澤夏樹の小説に「氷山の南」がありますが、小説が書かれるよりももっと前に、中東の王族が考えている南極の氷山を引っぱって行くという計画案が、私の若い時に朝日新聞に載ったことがありました。
そこから池澤夏樹が着想を得て小説を書いたのでしょうか。池澤夏樹の小説「氷山の南」はこんな筋です。

南極大陸からポロっと離れて海に浮いた南極の氷山1キロ  × 20キロをすっぽり覆い、細長い氷山の頭にアンカー打ってタグボートでオーストラリアの南の海岸まで引いていく。オーストラリアには雨がほとんど降らない土地があり、草が生えないので牧場にできない。そこへ南極の氷山は真水ですから、袋の中に溶けた水をくみ上げてオーストラリアの乾燥した大地に撒く。そして草が生えて牛が育つ。現実には中東の王族は実現できなかったんでしょうが、同じように、京阪がもし萱島で分岐して交野が原を走ってたら今はどうだったか。


2025.08.03
今朝7時より例月のように岡東公園の掃除をしました。参加者は10人ほどでした。
今朝は特別に暑かったです。熱中症に気を付けて早い時間からペットボトルのお茶を用意しました。
最後に老人会長さんと自治会副会長さんのはなしで散会しました。


2025.08.02
つづきのような。
今日11時20分に大垣内町一丁目4番の市道から百済王神社の杜を撮った写真です。昨日載せましたのは杜の西側ですが、これは東側です。トトロが朝に飛び立つのはこちらからで、夜帰ってきて入るのは昨日の西側からのような気がしますが、まだ確認はできていません。
昨日書きました神官も朝ここから降りて中宮の本殿に行くのに、大垣内町二丁目の辺り、今の枚方郵便局、枚方税務署の辺りが水に浸かっていて、それにその時代は禁野の橋がないから、どちらにしても舟を漕いで天野川を渡って、そして対岸へ着いて中宮の方へ坂を上がって歩いたんでしょうか。帰りは時どき川原町の岸へ舟を泊めて飲んで遊んだかも知れません。知りませんけど。


2025.08.01
2025.07.31 のつづきのような。
昨夕4時20分、岡東町1番の住宅から東へ100mの大垣内町一丁目の百済王神社の杜を撮りました。夕日を受け杜の緑が輝いています。
この百済王神社について前に町内の人から聞いた話ですが、(これは責任のない話です)、昔々に中宮にある百済王神社の神官がここに住んでいた。それがある時代に大水で一体が水に浸かり中宮の百済王神社まで船で行かないと行けないことがあった。それで中宮の祖霊をここへも分けて祭った。しかしここで祭る神官がいつの時代かにいなくなったので霊は元の中宮の方へ行った?戻した?。ですから今はここに古い祠のようなものはありますが霊はいらっしゃらない。こんなはなしでした。しかし毎日杜を西側から見てます私は無住でなく、代わりにトトロが住んでいるのでないかと思っています。
同じに撮りました画像をトリミングして今月の上の額に使いました。杜の大木の頂部です。葉が風を受けてひらひらしています。